甲府地方裁判所都留支部 昭和44年(む)1号 決定 1969年12月08日
被告人 古谷芳信
決 定
(本籍・住居・被告人氏名略)
被告人の申立に係る昭和四四年(む)第一号上訴権回復請求事件につき、当裁判所は、次の通り決定する。
主文
本件の上訴権回復請求を許容する。
理由
一、本件申立の要旨は、
被告人は、甲府地方裁判所都留支部昭和四四年(わ)第八六号業務上過失致死傷被告事件につき、同年十一月十七日有罪判決の宣告を受けたものであるが、之を不服とし、同年同月二十二日弁護士白井忠一に控訴申立を委任した。そこで、同弁護士は、即日事務員の長野修二に対して控訴申立書の作成提出を命じ、同事務員は、該書面を作成した上、同年同月二十三日之を発送した。然るに、同事務員は、その提出先を民事々件の場合と同視し、且つ、宛先が高等裁判所となつているため、誤つて、東京高等裁判所に宛てて郵送して了つた。而して、右申立書は同年同月二十五日同高等裁判所に到達したのであるが、同裁判所刑事々件係書記官鶴岡千与吉は、直ちに提出先の相違に気付き、即日之を原裁判所に回送すると共に、白井弁護人に対してもその旨の通知を発し、該通知書は同年同月二十八日同弁護人に到達した。従つて、同弁護人としては、自己の事務員長野が宛先を間違えたという不注意があるにしろ、同年同月二十五日からでは未だ控訴期間が六日間残つているので、該申立書は、充分の余猶を持ち、控訴期間内に原裁判所に到着するものと信じ、富士吉田郵便局に対し、通常の郵便物到達期間を問合せて右の点を確認すると共に、前記書記官宛に礼状を発して安心していたところ、意外にも、該申立書は控訴期限を一日経過した同年十二月二日原裁判所に到達したため、控訴権消滅後の上訴申立となつて了つた。然し乍ら、東京高等裁判所より控訴申立書を原裁判所に回送した旨の通知があり、然も、その通知書到着の日から計算し、通常に郵便が発送されたならば、右申立書が控訴期間内に原裁判所に到達すべき充分の余猶がある以上、何びとと雖も適法な控訴申立がなされたと信ずるのが当然であるから、本件の場合、被告人本人又はその代人の責に帰することが出来ない事由により、上訴提起期間内に上訴をすることが出来なかつたときに該当すると言わねばならない。よつて、上訴権の回復を請求する次第である、と言うにある。
二、よつて審案するに、当裁判所昭和四四年(わ)第八六号業務上過失致死傷被告事件の記録によれば、概ね、被告人主張の経緯を認定することが出来る。即ち、被告人は、右被告事件につき、昭和四十四年十一月十七日当裁判所より有罪判決の宣告を受けたものであるが、之を不服とし、同年同月二十二日頃、山梨県弁護士会所属、同県富士吉田市在住の弁護士白井忠一に対して控訴申立を委任したこと、そこで、同弁護士は、即日事務員長野修二に対し、必要書類の作成提出を命じ、同事務員は、同年同月二十二日付の弁護人選任届及び翌二十三日付の控訴申立書を作成した上、之を、同年同月二十四日午前富士吉田郵便局受付の第一種通常郵便をもつて発送したのであるが、第一審の当裁判所宛に差し出すべきものを、誤つて控訴裁判所である東京高等裁判所宛に郵送したため、翌二十五日午前八時三十分より同十時迄の間に、該郵便を受領した同裁判所刑事々件係書記官鶴岡千与吉が、同日付の送付書を添えて当裁判所宛に回送する手続を執ると共に、白井弁護人に宛て、同日付の郵便葉書をもつてその旨を通知し、同通知書は同年同月二十八日頃同弁護人方に到達したこと、尤も、前記書記官の発送した各郵便は、何れも料金後納の第一種通常郵便であるため、之等に郵便官署の消印が押捺されなかつたこと、次いで、同書記官より郵便連絡を受けた白井弁護人は、同年同月三十日正午富士吉田郵便局受付の郵便葉書をもつて、同書記官宛に礼状を発送し、該郵便は翌十二月一日正午より午后三時迄の間に同書記官に到達していること、ところが、同書記官より当裁判所宛に回送された前記郵便は、被告人の控訴期間が満了した翌日である十二月二日、ようやく当裁判所に到達したので、被告人は控訴権を失うに至つたことが、夫々認められる。
三、そこで検討を加えるに、被告人の控訴申立書は、提出すべき裁判所を誤り、東京高等裁判所宛に郵送されたとは言え、昭和四十四年十一月二十五日午前中同裁判所に到達しているので、この段階に於ては、控訴期間中尚六日間の残存期間が存在することが明白である。而して、右申立書を第一審の当裁判所に回送した郵便が、料金後納郵便であるため、郵便官署の消印が押捺されていないことから、果して即日発送されたか否か必らずしも明確ではないけれ共、前記送付書の作成日付が同年同月二十五日であり、また、鶴岡書記官より白井弁護人に宛てた同日付の通知書が、同年同月二十八日頃同弁護人に到達していることに加え、一般に、裁判所書記官の職務が厳正に行われている顕著な事実に徴し、前記回送の郵便は、送付書の日付通り同年同月二十五日に発送されたと認定するのが最も妥当である。そうだとすると、右回送の郵便は、鶴岡書記官から白井弁護人に宛てた通知書と同様、遅くとも、同年同月二十八日頃、当裁判所に到達するのが通常の郵便物配達の状態と言うべきであるから、郵便物が多少輻輳しても、白井弁護人が、充分の余猶をもつて原裁判所に回送されたと期待したことに相当の理由があると認めねばならない。従つて、右回送の郵便が、それより四日後の同年十二月二日に当裁判所に到達したのは、郵便官署の内部の事情によつて延着したと認める外はないものである。
尤も、白井弁護人とその事務員長野修二の所為に不注意の点があることは否定出来ない。先ず、控訴申立書を差し出すべき裁判所を誤り、原裁判所でなく、控訴裁判所に宛て郵送したのは、過失にしても決して軽度のものではない。また、有罪判決を宣告された刑事被告人にとり、控訴権を喪失したか否かは、当該被告人の人権上実に重大な問題であるから、控訴申立を委任された弁護人が、控訴申立書を原裁判所宛に郵送する場合には、紛失若しくは延着の虞なしとしない料金十五円の第一種通常郵便などに拠ることなく、書留郵便、速達郵便などの迅速確実な方法を執るべきであり、その方がより委任の本旨に則つたものと言わねばならない。更に、弁護人としては、東京高等裁判所の事件係書記官が、原裁判所へ回送した取扱に安堵することなく、真実、原裁判所に到着したか否かを問合せる程度の、些細な労を惜しむべきではあるまいと思料される。
このように見てくると、本件は、弁護人とその事務員の過失が、郵便官署の帰責事由と競合している如く考えられないではない。然し、既に認定した通り、兎も角、控訴申立書が控訴裁判所より原裁判所に回送され、それが控訴期間を僅か一日徒過したのみで原裁判所に到達している上に、回送の手続が執られた時点に於て、控訴期間中尚六日間の残存期間が存在し、且つ、その頃東京都内と富士吉田市間の通常郵便が、発信の翌日か、遅くとも三日後に到達している状況下にある以上、該申立書が、控訴期間内に管轄裁判所に到達することを期待し得べき客観的状況にあつたと認めるべきであつて、弁護人とその事務員の前記不注意は、郵便物の延着したことに直接の原因を与えていないと考えるのが相当であるから、弁護人及びその事務員の帰責事由は否定されねばならない。
果してそうだとすると、被告人が控訴権を失つたことは、本人又は代人の責に帰することが出来ない事由に因ると解する外はない。
四、よつて、本件上訴権回復の請求を許容することとし、刑事訴訟法第三百六十二条により、主文の通り決定する。